先日6月7日、学園アイドルマスター2ndライブを見に行った。
本当にいいライブだった。
理由はひとつで、
二次元アイドルコンテンツのライブとして面白かったのではなく、
音楽体験として最高だったから。
一旦、この自分語りをする上で、
先々月あたりにふと思って書き留めていたメモを放出しておきたい。
以下、殴り書き。
私は、「その人がどういう気持ちで表現をしているのだろうか。本人もしくは周囲のどんな意図があるのか。」という、背景を汲み取ろうとするのが好きだ。
この性格に個人的に好きになれないところがあり、それは視点が主観ではないところ。
自分がどう受け取ったかではなく、誰がどう表現したのか、をまず考えてしまうところ。
解釈は三者三葉であって然るべき。ただここでいう三者三葉とは、あくまで受け取る側の過去や思想を踏まえた上での、”私にとって”の解釈の在り方。
主語が自分ではなく、表現者もとい他人になってしまうのは、自分が思想も感情もない空っぽな人間だと突きつけられているようで、時折辛くなる。
以上。
アイドルマスターなり二次元アイドルコンテンツの話で言えば、
コミュを読んだ方が歌詞に新しい意味が生まれたり、ストーリー性が強くなるので、自分も読みはするが、
それはそれとしてライブのパフォーマンスの受け取り方はそれに制限されるべきではない。
むしろ、それに制限されないのが、本質的にパフォーマンスを受け取れているんだと思う。
「オタクはコミュを読んでライブに参加しなきゃいけない。」という風潮は、お膳立てを強制される上に、受け取り方に制限がかかる。
私たちが受け取る、答えの無いはずの表現というものに対して、他人の人生が入り込むことで、言葉通り、その予習をしてしまう。
これはある種、表現者(アイドル・キャスト両者)への冒涜だと思う。
物語を歌うだけなら、音源でいいもん。
最近、一体いつから(曲名)が解釈違いだなんだと荒れていた。
一体いつからが1000体いつからでも、全体いつからでも、いつもここからでも、なんでもいいはずなのに。
答え合わせなんてないのに、解釈違いどころか、解釈間違いと言わんばかりに他人の意見を矯正する。
そんなことを思っていながら、
結局ライブの打ち上げでもそんな答え合わせをする。
気づきに偉いもなにも全くないのに、
気づけたことに優越感を感じているのか、他人の矯正もする。
そんな自分の感性が嫌になっておりました。
そして迎えた学マス2nd
今回のライブの見どころは、(ほぼ)全てのキャストに未披露最強新曲があったところ。
未披露曲が多いだけで、シンプルにライブイベントとしての満足度が高い。
だけではなく、
大半のアイドルにとって、ゲームストーリー上大きな意味を持つ、最終兵器のような楽曲。
アイドルマスターを語る上で欠かせない、我々とアイドルとの関係値・アイドルの成長・思想、大事なものが詰まっている。
今回に関しては「オタクはコミュを読んでライブに参加しなきゃいけない。」よなあ。
そう思ってたんだけど、
そんなものは大して関係なかったです。
一夜漬けで読んだくらいのアイドルの歌唱で咽び泣き、
何も考える余地もなく楽曲で高まり、
胸がいっぱいで、まだ帰りたくないと思う。
打ち上げでいつものお友達から出た感想は、
思い返すと今までのライブ打ち上げよりも語彙力が無く、
「本当によかった」
と、そんな感想戦だった。(オタクは泣き出すし)
後日、タイムラインを見ていても、ネタバレ防止なのかわからないが、コミュへの結びつけもあまり見なかったように感じる。
各々感じることはあって、それは他人に言葉にするのは憚られるようなものなのかもしれない。
全然気のせいで、なんか分かんないけどグワっときてただけなのかもしれない。
でも自分は、こうありたいと思っていた、
「自分自身」がライブを楽しむ、ということが、心から出来たと言えるライブだった。
一体いつから
こんな弱い自分に
目をつぶって生きてくことだけ上手くなっちゃったんだろう
と、ぶん殴られ、
「ボクが連れて行くよ」
とあんな笑顔で、前のめりで全力で歌われてしまったら、
バックボーンとかもう、なんでもいいですよ。
ただただ、あの時、あの瞬間のパフォーマンスに勇気をもらいました。
一生忘れることない最高のステージでした。
誰としてステージに立っていたかはそれこそ私たちの美味しい解釈の時間なので、
この言葉を誰にかけるのかは人それぞれでしょうけど。
本当にいいライブでした。







