日記を書こうと思う
この間、親父の遺品整理をしてたらアルバムが10冊ほど出てきた。
20年間一緒にいて全く知らなかった一面だったが、若い頃の親父はマメだったらしい。
印象的だったのが3点
①誰が誰だかかわからん家族写真
祖父母(齢90↑)が誰だか分からなすぎる。
なんなら親父もどれかわからん。
昔の方って立ち姿もスッキリとしていて、目つきだったり輪郭も全体的にトゲトゲしている気がする。
今の親族のほうが丸っこくていい。性格の方じゃなくて見た目が丸っこくなりすぎな人もいるけど。
でも、葬儀の集まりである以上感じてしまうのは、早死にしそうだな〜というところ。
現実的な話、まだ食品衛生学おける正解が少なかった大添加物時代の親世代が平均寿命を下げるというのはよく言われている話だし、ブクブクしている人は正直多い。
長生きはした方がいい。
他人事のように言っているが、休日の度に二郎食ってサウナ行って寿命縮めている現代人(ワイ)が長生きする訳はないわな。保険は早めに入ろう。
②所謂卒アルもあったが、自作の学生生活をまとめたアルバムがあった。
クラスメイトの写真をひとりずつ切り抜き、ひとりずつ寄せ書きを貰っていた。
当時(40~50年前)ビートルズの時代かな?西洋文化が学生の憧れだったのか、男子生徒の寄せ書きはだいたい横文字でクラーク博士みたいなことを綴っていた。
インターネットが普及していないこの時代に英語の文章をひとつ綴るとなると、きっとレコードを書き起こして、ラジオなんかも書き起こしたりして、辞書を捲って、誰かに添削をしてもらったりして。
今では考えられないような手間と積み重ねと、楽しさがあったんだろうなと思うと、自分はこのままだと本当に退屈人間だなあと少しため息が出た。
③愛車のバイクツーリングとデートのアルバム
行き先が特集されてる記事の切り抜き。
行先までのバイクルート。
出発前の愛車。
使った列車の乗車券。
博物館のチケット。
食ったメシ。
出会った綺麗なネーチャン。
友達や彼女(母)。
20代前半で今の俺と同じ頃の親父の記録
本当に楽しそうな思い出ばっかりだった。
もしかしたらそんなでもなかったのかもしれないけど、こんなにマメに記録が残っていたら、そりゃ楽しく見える。
自分もこんな20代送りたいわ。と思ったけど、手元の電子機器とか、私生活とか、色々なものに囚われすぎて忘れてしまっているだけで、楽しい日々なんてたっっっくさん過ごしてる。
もっと思い出は残そう。
あとデジタルデトックスは必要。(昨日飲んだ大前くんはそんなことを日記に書いていました。)
https://note.com/manyu_d/n/n9fbeff936eb6
あと
「ホニャララだよネ」「こちらが○○でございます」
「○○君!よしなさいよ!なにをしてるんだね!!」
↑
昭和表現の現物を見るとテンションが上がりました。
最後のなんかは特に、写真だけではなくて、文字で注釈が入っていたり、人物にセリフが入れられていたり、チケットなんかの実物も貼り付けられていた。
今のインスタグラムのような感覚だろうか?
違うのは、ほぼ自己満足で、誰かに向けて作ったものでは無いこと。
純粋な思い出の羅列で、この人はこんな気持ちでこんなものを見てきたんだな〜と追体験ができて、未だに何故か分からないけどあたたかい気持ちになった。
同じなのは、コラージュをしたり思い出を書き加えたり、アルバムを作っている"過程"がきっと楽しかったんだろうなと、ページを捲るだけで伝わるところかなあ。
文字も、表現の仕方も、写真も、素材も、褪せているものそのものが鮮明に昔の思い出を伝えていて、記録に残すっていいな〜としみじみ思った。
いつか自分も昔を振り返った時に、ただ自己満足で書いたもので大笑いできたり、誰かがあったかい気持ちになってたりしたら、親父から受け継いだみたいでいいな。
特に親父から貰ったものとか引き継いでるものが無かったけど、こういうもので繋がりができたらいいと思う。
日記を書こうと思う。
毎日は難しいけど、週まとめくらいで。思い出したとき、思い出したいことがあったときに。
(本音を言うと日記書いてる大前がなんか通ぽくてカッコよかったので。)